和光山 寂定院 明正寺
浄土真宗本願寺派である明正寺は南北朝時代、越前の国・杣山城主であり南朝の義臣でもあった杣山義直が足利尊氏との戦いに敗れ当地に逃れたが戦乱による人世の非常を悟り当時荒廃していた明星寺の旧跡をここに移してこの寺を建立した。後に義鎮が真宗に帰依し和光山明正寺と号し今日に至る。明正寺には、幕府の献上物として南蛮渡来象が享保14年(1729)3月・飯塚を通ったことが記録されている過去帳が保管されている。
■勢屯り跡(せいだまりあと )
この上にあった上茶屋から、宿泊した大名が降りて来てここで行列の体制を整えていました。大名の行列は通常、宿場や主だった街道沿いの場所でのみ勢を整え、後は早足で移動していました。「お江戸日本橋」の歌にあるように、「七つだち(午前四時頃)」に出立することも珍しい事ではなく、参勤交代の費用を減らすため、本陣に到着する時間も午後八時頃となるケースもあったようです。

住所飯塚市本町
20-9
TEL0948-22-1591

  
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