筑前と豊前の国境石
■国境石概要■
江戸幕府は国境を明確にするため、正保1年(1644)各藩に命じて「各領内絵図」を作らせましたが、これが粗末なものだったため各地各藩で国境争いが起きました。このため幕府は元禄10年(1697)に正保国絵図大改定を行い国・郡境に未解決の論所を残さないことを目標とした覚書を発し隣接大名間の国境・相互確認を義務付けました。そこで、各藩は境目奉行という役人を間に立てて穏便に話し合いをし、初期は松を植えたり、杭を立てたりしたが、枯れたり取れたり時には他藩の村人に引き抜かれたりと争いが絶えなかったために、石に変化していきました。
烏尾峠の国境石は、現在のものは2代目で初代は元禄13年(1700)国境紛争解決時に建てられた「従是西筑前領」と標示されていましたが、天保6年(1835)頃に「領」を「国」へと変えて立て替えたと考えられています。この筆跡は福岡藩能筆家・二川相近(ふたがわ すけちか)の書と云われています。なお初代の石は飯塚市鹿毛馬公民館に残っています。
黒田如水(くろだじょすい)・長政(ながまさ)、貝原益軒(かいばらえきけん)森鴎外(もりおうがい)、種田山頭火(たねださんとうか)などが烏尾峠を通りました。

ご案内
住所飯塚市鹿毛馬
6-1

  
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