ショウケ越 ・ 腰掛石
県道60号線沿い「大野峠」との分岐に「ショウケ越」の石碑と「腰掛石」があります。
「ショウケ」とは竹で編んだザルの一種、笊笥 ( そうけ ) が訛ったもので、神功皇后が宇美八幡宮で応神天皇を出産後、ショウケの籠に入れて峠を越え、大分 ( だいぶ ) に至ったことから 「ショウケ越」と云うようになったと伝えられています。
「腰掛石」は神功皇后が「ショウケ越」で峠を越えるときに、ここの石に腰を掛けて休憩したので、通称「腰掛石」と呼ばれています。横の石碑には「神功皇后御遺跡之碑」と記されています。
「県道飯塚大野線 県道内住篠栗線 開通記念碑」より

ショウケ越開削誌
 仲哀天皇九年、粕屋郡宇美にて応神帝誕生、その翌年の春、神功皇后は幼帝を竹篭(ショウケ)に寝かせて、この難所を越え、山麓にある大分の行宮に向かわれたとの伝承により「ショウケ越」と呼びならっている。これら皇后伝説は周防灘と松浦潟を結ぶ北部九州横断道の諸処に多く伝えられる。「八幡宮本紀」には延喜廿一年六月二十一日託宣により、この俊坂を越えて八幡大神を大分本宮に遷し奉ると誌されている。従ってこの峠道は嘉穂郡の西壁をなす砥石山鞍部(標高五百米)をぬける要衝の嶮で、やがて筑紫野に沿ったことが知られる。記録にあるのは千年前だが、恐らく「米ノ山越」を迂回する太宰府裏官道(八世紀)以前に遡る何百年も昔の道であろう。昭和以降に於いても千古の面影を深渓にとどめ、樹林にからむ蔦の細道には殆ど通行も絶え果てたが、新たに三郡山系地塁を開削し、十年余りに亘る難工事をへて漸く竣工、今ここに開通を見るに至る。


住所飯塚市内住