烏尾峠の名称の由来は、峠にさしかかった神武天皇一行が一羽の烏に導かれ、悪天候の中を無事に峠越えが出来たという伝説があります。
江戸時代後期、黒田藩の学者であった貝原益軒の「続筑前風土記」には「仁保村より東に越えて、豊前に行く道有り。大道なり。飯塚より豊前田川郡糸田へ二里半余有り。仁保と糸田の間、からす尾嶺あり。これ筑前豊前の境也。仁保より不全境迄二十六町三十四間有り。糸田より香春へゆく。」と記述されています。

烏尾峠には、現在の頂の西側に「従是(これより)西筑前国」という国境石が立つほか、境を守るかのように向かい合って、地蔵堂(通称ヘビ神様)が祀られています。
この烏尾峠の地蔵堂は、宝永元年(1704)福岡藩の四代藩主・黒田綱政(くろだつなまさ)によって建立され、延享四年(1747)六代藩主・継高(つぐたか)が改修したものです。地蔵堂の棟札に「州県平寧(しゅうけんへいねい)、衆庶繁昌(しゅうしょはんじょう)」とあり、国の平和と人々の幸せを祈念したものと思われます。