■綱分八幡宮ホームページより

綱分八幡宮の創建は、神亀3年(726年)頃と伝えられています。
宇美町の宇美八幡、福岡市の筥崎宮、旧筑穂町の大分八幡、大分県宇佐市の宇佐神宮と並ぶ由緒深い神社の一つです。
綱分八幡宮の誕生の背景には、神功皇后(仲哀天皇の皇后)伝説と深く関係しています。

神功皇后は三韓征伐からの帰途、現在の宇美町で応神天皇を出産され(そこで「産み」という言葉から「宇美」となって現在の宇美八幡宮、さらには宇美町と地名が残ったという説)、ショウケ峠(応神天皇を「ショウケ」と呼ばれる籠に入れ峠を越えられたことから「ショウケ峠」という名がついたという説)を越え、大分八幡(ここで連合軍を解散したことから「大分」となったという説)を経て現在の飯塚市綱分に至りました。
皇后が三振りの宝剣をかめにいれて埋めたという伝説が残されており、伝説の通りに庄内郷13村(旧庄内町の12の大字と旧頴田町の佐与)の土地を掘ってみた所、宝剣やその他の宝が発見され、その三振りの宝剣を応神天皇・神功皇后・仲哀天皇の御神体として庄内郷13村の守り神とし祀られた事から綱分八幡宮の誕生に至るのです。


■名前の由来

出産後の皇后は、糟屋郡宇美町を出発し豊前宇佐の地を目指した道の途中、金石山のふもとの金丸村(今の綱分付近)でお休みになられました。
その時に、安産のおまじないとして産綱を分けてお祀りした事から、その土地を「綱分」と呼び、「綱分八幡宮」と名付けられたとされます。