近世以降、西洋、東洋への窓口になった長崎と、江戸または京都、大阪とを最短で結ぶ道。
それが長崎街道である。

其 の 壱  冷 水 峠

長崎街道の「冷水峠」は、現在の国道200号線よりさらに登った場所にあり、長崎街道で一番の難所と呼ばれた峠です。 江戸時代には参勤交代やオランダ商館長、長崎奉行、幕府高官等の往来など交通が頻繁に行われていました。
シーボルト、吉田松陰、伊能忠敬など、幾多の人々や、将軍徳川吉宗への献上象などもこの峠を通ったとされており、歴史を感じる事のできる場所です。 筑紫野市山家から冷水峠を越えて内野に至る区間は、「平成8年文化庁の歴史の道百選」に選定されました。
 
      
■冷水峠マップ
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■冷水峠 (画像スライドショー : You Tube)

其 の 弐  内 野 宿
旧長崎街道・内野宿は江戸時代そのままに道が残り、宿場の面影をとどめています。
西構口(山家宿側)から東構口(飯塚宿側)まで約600メートルあり、そのほぼ中央で逆T字型に本陣(御茶屋)へ道は向かっています。本陣の脇を通って道は太宰府へと続いていました。
飯塚宿へ三里七丁、山家宿(ヤマエシュク)へ二里二十丁。山家宿との間に難所中の難所、冷水峠があります。
 
■内野宿マップ
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■内野宿 (画像スライドショー : You Tube)

其 の 参  内野−桂川
旧長崎街道・内野から阿恵、長尾、寿命にかけて、途中国道200号線(長尾ー出雲)と合流しますが、現在も風情ある街並みが残っています。
旧街道沿いには愛宕神社、阿恵老松神社、長尾の老松神社、豆田天満宮、天開稲荷大明神などの神社が建立されています。
また、飯塚市(旧筑穂町)の山口地区では、江戸時代末期、筑穂町に古くから伝わる筑前茜染で日本最初の日の丸が染められました。
■内野ー桂川マップ
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■内野−桂川 (画像スライドショー : You Tube)

其 の 四  桂川―飯塚
旧長崎街道・桂川から天道、楽市、飯塚にかけては、線路や道路敷設、家が建ち並んだり農地となって、道が消失しているところが数ヵ所あります。旧街道沿いには恵比須神社、天道宮、貴船神社があり、近辺には大将陣、茶かすの地蔵、常楽寺、圓満寺などがあります。
長崎街道と秋月街道の分岐点にある「瀬戸の渡し」より川を渡るのは難所の一つにかぞえられていました。
■桂川―飯塚マップ
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■桂川―飯塚 (画像スライドショー : You Tube)

其 の 五  飯 塚 宿
旧長崎街道・飯塚宿は筑前六宿の中で最も変貌を遂げています。
飯塚宿は縄文・弥生時代から開け、前漢との交流もあった先進地で穀倉地帯でもありました。江戸時代は遠賀川水運の河岸と長崎街道の宿場町として栄え、明治になってからは筑豊炭田の中心地としても繁栄してきました。
しかし、宝永7年(1710)と宝暦9年(1795)に大火に見舞われており、現在では完全に商店街化している為、宿場町の面影をとどめておりません。先年飯塚文化連合会によって石碑が建てられています。
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■飯塚宿 (画像スライドショー : You Tube)

其 の 六  飯塚ー幸袋
旧長崎街道に面している幸袋本町の通りは、明治・大正の町並みのたたずまいを今なおよく残しています。
国道200号幸袋信号機を東に折れるとすぐに、実藤家の2階正面の壁に3枚の「鏝絵」が目に入ります。題材は曾我物語で有名な源頼朝の富士の裾野の巻狩りの場面です。旧伊藤伝右衛門邸は斜め体面にあり、その東隣りの数軒も旧家の面影を残しています。
■飯塚ー幸袋マップ
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■飯塚ー幸袋 (画像スライドショー : You Tube)

其 の 七  幸袋ー目尾
幸袋町と飯塚市を結ぶ重要な橋の「鯰田大橋」。かつてはこの大橋付近に鯰田渡しがありました。上流、下流を問わず渡し舟は重要な交通機関でした。目尾から小竹にかけて町裏にあった遠賀川は現在東につけかえられ、その跡は国道200号線と住宅地になっています。このため環境は大きく変わりましたが、旧長崎街道沿いには往時の面影を残す道幅二間ほどの町並みが続いています。目尾と小竹が隣接する場所に旧穂波郡と鞍手郡の郡境石が建っています。
■幸袋ー目尾マップ
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■幸袋ー目尾 (画像スライドショー : You Tube)

取材協力・案内
麻生西日本新聞TNC文化サークル 事務局長
長崎街道筑前六宿(開通400年記念事業)実行委員会 事務局次長
日本経済大学講師
竹川克幸

参考文献
アクロス福岡文化誌1街道と宿場町(海鳥社)
福岡県文化財調査報告書 第一八四集(福岡県教育委員会)

[九州文化図録撰書/第1号]長崎街道 大里・小倉と筑前六宿 図書出版のぶ工房
伊能図で甦る古の夢 長崎街道 河島悦子 著